夫が脱サラし鍼灸師を目指す妻の家計簿

新卒で入社した会社の同期と社内恋愛で結婚して7年、 夫は退職して鍼灸師になると言い出した。専門学校に通う夫と二人の子供を抱えて家計も支える妻の家計簿ブログ。

社内ニート、「働く」とは何ぞやを考える

働くって難しい。
私は元銀行員から社内ニートになりました。
もう少し詳しくいうと、新卒入社した銀行で長時間労働に疲れて寿退社して、
事務職に転職したらそこで社内ニートになってしまいました。
これからどうやって「働く」と向き合っていこうか、悩んでいます。

この仕事なんか違うなぁという時に、職種や業界があっていないのではという観点もあります。
しかし、特定の職種や業界に強い憧れがなく、そんなにコダワリがない人にとって、「働く」というのはどのようにとらえたらいいのでしょうか。

人生の中で、「働く」というのはどういう位置づけに置くべきなのでしょう。



私なりにいろいろカテゴリ分けをして考えてみたいと思います。


●学生時代に考えた働くということ

就活の時に、何のために働くのか考えて、就職のための自分の価値観の軸を決めましょうとよく言われました。
自己実現がしたいから、ある程度の福利厚生があって、社会に貢献したい、人を喜ばせたい…
などなどいろいろなワードが出てきました。
そんな綺麗ごとをエントリーシートに書き連ねました。

働くことの具体的なイメージが全然湧いていませんでした。
この職業に就きたい!という憧れの職業もありませんでした。


●1 「経営者」と「労働者」

そんな私も運よく1社だけ内定をもらいました。
それが銀行でした。

銀行での仕事は、「社長にお金を借りてもらう」というものでした。
そこで初めて、世の中にはサラリーマンと社長がいるということを知りました。

大学時代に共産党宣言を読んだ時は、衝撃を受けたつもりでした。
でも本当に、「資産を保有して、賃金を払う人」と「長時間働いて賃金をもらう人」がいることを目の当たりにしました。

では経営者のほうがいいのか?えらいのか?というと、そうは思いませんでした。
経営が立ち行かなくなり、自殺する人もいました。行方不明になった人もいました。

とはいえ、どんなに赤字で会社がきつくても、社長自体は土地持ちだったり、けっこう報酬ももらってたりしていい暮らしをしている人が多いという印象でした。
中には、会社の経営が上向いていても、真面目に暮らしていて、従業員をしっかり養っていくんだという気概を持っている方もいらっしゃいました。

働くには、
「リスクをとって、資産を持って、資産からお金を生み出す人」と 「リスクはとらず、時間を売って賃金を得る人」の種類がある。

しかし、資産を利用して経営している社長はすごいと思いましたが、
土地収入から不労所得を得ている人は働いているとは言えないと思いました。

「働く」とは、お金を生み出したり、賃金を得たりするというだけでなく、自らの身体や頭を使っている必要があると思いました。


●2 「時間」と「働く」

児童小説のモモを書いたミヒャエル・エンデのドキュメンタリーがあります。
書籍化した「エンデの遺言」を読みました。それからもう一度モモを読み返しました。

エンデの遺言 ―根源からお金を問うこと (講談社+α文庫)

エンデの遺言 ―根源からお金を問うこと (講談社+α文庫)

モモでは、時間に追われて幸せを失っていく人々の様子が描かれています。
「あぁ、これは私だ」と思いました。

モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語

モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語

労働者として働くときも、経営者として働くときも、有限である「時間」を使って働いているのだということを意識しなくてはいけないと感じました。

ここで問題になるのは、総合職的な働き方をしようと思うと必ず残業が付きまとうという日本の企業体質です。
日本の労働者の「働く」には、やりがいや賃金を求める長時間労働と、低賃金・単純労働の時間内勤務があると思います。


●3 「農業」と「働く」

仕事を辞めてから、2週間農業研修に行ったことがあります。

その頃は「半農半X」という本を読んだりして、農業に対しての憧れがあったのと、
当時、もうすぐ結婚するところだった旦那さんの実家が兼業農家だったので、嫁入り前の修行に行くことにしました。

半農半Xという生き方

半農半Xという生き方

そこでは、社宅にただで住まわせてもらい、一日食費として1000円だけもらえました。
晴れたら畑で作業し、雨の日は工房でジャムを作ったり、ネット注文の発送作業を手伝いました。

衝撃を受けたのは、「お金がほとんどかからない」ということでした。
周りの人が、お米も野菜も分けてくれて、毎日お弁当を持って畑に行くと、1日1000円でも余りました。

農業をして思ったのは、「働く」というのはお金を得ることだけではないということでした。
農業のある暮らしは、「生活」と「働く」が密接に結び付いたものでした。


●4 「家事」と「働く」

結婚すると、「働く」に「生活」の要素が入ってきました。
仕事が終わって家に帰ると、毎日料理をしたり、洗濯や掃除などの家事があります。
フルタイムだとこれらのすべてを完璧に行うのは難しいです。

独り身の時は、食べることを代表として生活することに投げやりになっていたと思います。
食べることも適当、掃除も適当、着飾っていても服を大切に扱っていなかったり…
「生活」という感覚を忘れがちだったような気がします。

賃金労働で生活するには、「働く」と「生活」のバランスが重要です。
家事を完璧にしようと思うと、パートぐらいがちょうどいいとよく思います。でもパートとなるとぐっと時給も下がります。
「低賃金で家事を頑張る」か、「長時間労働で家事は外注」というようなゼロサム的な思考になります。

その点農業は「働く」と「生活」の線引きがあいまいだと改めて思いました。

「生活」も本当は「働く」の一種であるけれど、現在の「働く」はその「報酬としての賃金」の意味合いが強いので、
賃金の発生しない家事が軽視されがちなんだと思います。


●結論は出せないがまとめると…

「働く」は、自らの体や頭を使って、お金を生み出したり、物を作ったり、生活の一旦を担うものである。
しかし、現代の「働く」はお金を生み出すという要素のイメージが強い。

「働く」をとらえる価値観はそのまま人生の「生き方」に近い。
何せ、生きている時間のほとんどを、何かを作ったり、労働していたり、生活していたりします。

今の私なりの「働く」は、「定時退社の仕事でそれなりの賃金をもらいながら、丁寧に生活する」というものです。
毎日、定時瞬間退社して、夕飯は必ず一汁三菜で手作り、習い事にも行きます。
毎日楽しいし、幸せ。でも少し違和感を感じている。現在の私の「働く」に完全に満足はしていません。

この文章を書いていて気付いたのは、
特定の業界や職種に出会って、「これが私のやりたかったことだ!」と感じるということに憧れを抱いているということ。
でも、それは、「いつか白馬の王子様が…」と憧れている少女に似ていると思います。
少なくとも、何かアクションを起こさなければいけないと思います。
今、やりたい仕事をやっているとか、夢があるという人、そのアイディアと情熱のある人は本当にうらやましいと思います。 。。
今の生活も、全然悪くないんですけどね。

今回まとめてみて、「経営者」と「農業」というカテゴリは未体験で、これから何かの形で挑戦してみたいと思いました。
頭の中にあるアイディアに挑戦していくことで、また違った視点が得られるのではないかと期待しています。